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『大衆食堂の研究』復刻HTML版 エンテツ資料棚>『大衆食堂の研究』もくじ |
思えば…編*田舎者の道 *一、開眼。ジャンク者の道* サバ煮と、竹輪、ニンジン、タケノコ、コンニャクなどが入っている野菜煮のようなものをえらんで、どんぶりめし一杯、味噌汁、お新香。これで六〇〇円だ。小皿に盛りわけられた十数種類のおかずが並ぶ、デパートのショーケースのような、だがずっと暗いガラスケースには、やたらサンマが多かったぜ。 一九九三年の秋だった。 その食堂の風情はというと、あのころのままだ。あのころといえば、むかし。昔といえば、おれにとっては昭和三〇年代にして一九六〇年代である。ずっと絞り込むと、そう、アンポ直後にして東京オリンピックの直前だ。 あのころも、東京の食堂でサバ煮をくっていた。サンマもくっていた。芋の煮ころがしやゼンマイ煮、大根干しの煮物、アジのフライ、イカのてんぷらも好きだった。ホウレンソウのおひたし、納豆、生タマゴ、冷奴……。 なんだ、ようするに「出世」してないってことか。食堂もおれも。だけどこれって、いいからつづくんだな。 田舎を出てから何やっていたんだ。いえ、その、田舎者の道ってのを追求していました。やっぱり、田舎者の道は永遠です。 農道はいつごろから舗装されたか? ちがう。農道のことではない。農道から県道にでて、県道から国道にでて、とやっていると、いつかは食堂にたどりつくにしても、やっぱりちがう。 たとえば、考えたことがあるか? 「田舎者」と「イナカモン」はちがうってこと。 都会幻想とウマイ話をちょっとあたえてやると、すぐ踊るのがイナカモンだ。東京に何代すんでいようが、関係ない。というわけで、正しい田舎者の道を求めつづけると、食堂にたどりつく。 食堂は田舎者の道なのだ。 田舎者といえばイナカモンの哀れみと鑑賞の対象でしかない。東京のイナカモンは田舎者をバカにするとき「イナカモン」という。天に向かってツバをしているようなもんだ。 「日本人のふしぎは、田園(いなか)を一段下にみることですね」といった、アメリカの日本人学者のことばを紹介した司馬遼太郎さんなどは、「都あこがれという日本人の習癖は、平城京(奈良の都)のころにさかのぼるべきなのかもしれない」とおっしゃっていました。 「都あこがれ」は、司馬遼太郎さんの気品にみちたやさしい表現である。おれのような野蛮なものがいうと「都かぶれ」になる。 ともかく、日本独特のふしぎ、「都かぶれ」と、一円玉の表裏の関係である「田舎蔑視」は、ここにはじまったとみていいだろう。 そもそもこの世には田舎者しかいなかったのだ。田舎者が密集したところが都会と呼ばれる.。そこで田舎者性を棄て、都会的欺瞞と虚飾をまとったやつらこそ、イナカモンにほかならなし田舎者のどこが悪い。田舎者が悪ならおまえたちはなんだ。 そう居直って、東京で田舎者のための食堂をつづけた田舎者はジャンク者と呼ぶにふさわしい風貌を身につけた。東京で田舎者をつづけたら、いかがわしい存在になるのだ。そしてオラオラオラと、きどったイナカモンの鼻先に薄汚い現実をつきつけるのだ。 オラオラオラ、イナカモン、何をキレイゴトしてんだよ。めしくうってことはよー、そんなもんじゃないぜ。東京ってのはよー、あまか-ないかもしれないが、イナカモンはあまいんだよー。 食堂の田舎者道を行くと、そういうジャンク者の味わいにいたる。 ヒーローというにはフツーすぎて、孤高というには怠惰すぎて、清貧というにはアソビニンすぎて、ガンコというにはおおらかすぎて、クソヤロウといおうとすると、そのまえに、ああおれはクソヤロウだよという凄昧をもってせまってくる。 なんとも猥雑なジャンク者の食堂は、黙って、軟弱なイナカモンを串刺しにする。 おいら硬派だぜ。 >次のページ >もくじへもどる |