『大衆食堂の研究』復刻HTML版         エンテツ資料棚『大衆食堂の研究』もくじ


放浪編*ワザワザでもいきたい食堂は死生のにおい

*一、トウフイタメの川崎屋*

  ●これが江東ジャンクだ●
  川を越え行こうよ口笛ふきつつ……
  都心山の手には傲慢がある。西の川向こう(多摩川の向こう)には見栄がある。東の川向こう(隅田川の向こう)には開き直りがある。
  東京・墨東ジャンク地帯。ジャンクな街に、ジャンクな食堂。
  吹けば飛ぶような川崎屋に
  賭けた命を笑わば笑え
  生まれ場末のジャンク者……
  江東区亀戸の川崎屋は、老朽の店に老骨のじいさん。それに、かわらぬメニューで生きています、というやつだ。誤解をおそれずいえば、下町の上塗りの下に場末のスえたかおりがする。
  こうである。
  一、建物が老朽で、お客においでオイデをしている感じがない。勝手にはいってきやがれといういでたちである。
  わびしくもあり、ボロであり、だけどそこをきれいに飾るとなんの存在感もなくなりそうな。それほど、ボロであっていいのである。
  ま、どの食堂にもいえることだが、ボロは着てても心は錦、なんてことは、はいってみなくてはわからない。ボロは着てるが心もボロ、というのもあるだろうし、あってもおかしくはない。むしろ「ボロでなぜ悪い」というぐらいの開き直りこそ食堂らしいのである。
  二、はいってみなくてはわからんが、はいってみても、すぐにはアンシンできないところが川崎屋らしい。それは、主人のたたずまいが、アンシンではないのだ。
  そもそも食堂の「調理人」は、あのテレビに出てくるような、「シェフ」とか「料理職人」というひとたちと、かなり、ハッキリちがう。ファーストフード・レストランやファミリー・レストランあたりの店長とは、かなり、ハッキリちがう。そして、くいものは、くってみるまでは、まったくわからん。そういうアヤシさが、店にも人物にもある。

  ●東京の食堂はつきあってみなくてはわからない●
  一言できめつけるなら、東京の食堂の存在感は、このように、つきあってみなくてはわからないいかがわしさである。
  情報誌をたよりに、キレイでアンシンの店に流れる、ばかばかしい市場の民をしているやつがいるようだが、まったく無駄な人生の日々である。市場の民は安楽を条件に、生きる判断を会社や市場の動きにあずけてしまっている。死生の民としてオトナの生活をしているとはいいがたい。
  せっかく人が集まる東京で、そんな全国どこにでもあるような、キレイでアンシンの、渋谷・原宿・青山・六本木都心風イナカモン成金趣味の店やチェーン店を利用していても、なんのタメになるのか。踊らされたね、踊ったよ、という関係が残るだけで、東京で暮らした事実にはならない。イナカモンはだいたいこういう日々をおくっているようだが。

  ●自分の仕事で死ぬまではたらけ●
  さてそれで、川崎屋である。朽ちなんとするまで家も人もはたらきつづけようという、たたずまい。これこそ人間の歴史というもんだ。
  老人ホームや老人クラブだけが人生の末路じゃないぞ。社交ダンスやってゲートボールやって温泉旅行してカラオケやっているだけがシルバーじゃないぞ。もっと死ぬまで働くところに人生をみつめろ。もっとも、貧乏人は死ぬまで働かなくてはならんから心配いらないか。

  ●タメになる川崎屋のじいさん●
  川崎屋のじいさんは、上塗りがところどころはがれた凸凹のコンクリートの床を、リハビリ中という風情、ゆらゆらという感じで水をもってくる。そして注文を聞くあいだに、垂れ下がった瞼の奥に黒くキラッと光る眼で、おれを一瞥する。そのとき、ほんのわずかだが、口元が、キッとゆがむ。オッ、これが年寄りの目つき顔つきか、と身構えたくなる。それは、どうやら遠くなった耳で注文をまちがいなく聞きとろうという緊張のようでもあるが、そればかりではない。老成したおだやかな表情の奥に、凄味がはしる。そこに、ボロな店のわりには気品のあるおじいさまがやっています、ではすまされないいかがわしさがただようのである。
  じいさんの一瞥には、野良犬を蹴っ飛ばすと、すでにそれを何度も体験したかのように、脅えながらも見返しやがる、あの被虐的にしてサディスティックな眼差しがあるのである。利かん気が虐待をくぐりぬけたあとの開き直りの気配。
  おれはもしかしたら、エセ・ジャンク者であることを見透かされたかもしれない。ドドドとうろたえる。
  そのおれのうろたえを尻目に、じいさんは注文をききおわると、プイッとテーブルの側を離れ、ゆらゆらと調理場にむかう。できあがると、また自分ではこんでくる。
  じいさんが、自分がやれるあいだはやりたい、と目一杯気をはって頑張っているようで、彼の人生とともに、この店はあって、終わる、という感じである。
  べつに哀惜の意をあらわすことはない。ミンナ死ぬし、生業をどうしても家業として継続させなくてはならんというリクツはない。仕事は自分の人生のためだ。ひと一代の生きる業であればいいのだ。続いたらつづいたでいいし、かといって何代つづいてもなんの価値もない。問われるのは、いまの生きざまである。このことを、川崎屋のじいさんは、やけに際立たせる。

  ●誇り高い堕落の道を歩め●
  川崎屋の看板には「お食事と喫茶」の文字がある。このタイプには、食堂のシンボルである紺暖簾がさがっていない店が多い。かつては、いわば、モダンだったのだ。そこに川崎屋の出自がしのばれる。
  「喫茶」というのは、「コーヒー喫茶」を意味しない。いまだって川崎屋にはコーヒーはおいてない。むかしは、「お食事と喫茶」の看板をみて、おっコーヒー飲んで行こう、と入っても、コーヒーなんてなかったのである。こういう店がボロな駅前にはよくあって、「コーヒーちょうだい」とやると、「おれたちが飲んでいるのでよけりゃ」なんて、インスタントコーヒーを飲ませてもらえることがあった。
  ところで昔の「喫茶」といえば「甘味喫茶」である。ようするに、餅だんごにお茶の「茶屋」の系譜である。時代劇の「八」がだんごをくう「お休処」の流れである。伝統的なふんいきでお汁粉やあんみつや白玉やお茶……などだが、おはぎやおいなりがあったり、夏はかき氷があったり。それがモダン化すると、サイダーやジュースやアイスクリームやチョコレートパフェとなり、である。ここに、かるい腹ごしらえのものをおくとお客がよろこぶ、と、ラーメンなどをおく。そのうち、「喫茶」でとおすのはつらくなったというのが店主の本音のところで、ごはんものをそろえるようになる。そのころには、「喫茶」のほうはどうでもよくなり、食堂メニューがどんどんふえる。

  ●堕落した食堂は正しい●
  甘味喫茶としては、「堕落」である。世間では堕落は悪に分類されるようだが、ジャンク者の世界ではかならずしもそうではない。世間でいう堕落こそ、まっとうな人生への返り咲きである。自らの解放である。すくなくとも、そう、ジャンク者は開き直る。
  「甘味喫茶」なら、伝統の職人根性とかで粉飾することもできようが、食堂化すると、ただの食堂だ。職人は「ただのひと」になってしまう。職人とただのひととどちらがエライかというと、見栄や格式から解放されている、ただのひとに決まっている。だけど、解放されてない世間のひとはそうはみない。ただのひとがいちばん馬鹿にされる。むかし風の職人根性にこだわるひとには、耐えられないものがある。だから、職人から「ただの食堂のおやじ」になるには、背に腹はかえられない事情があったかして、開き直るのである。
  ほかにも、職人をやっているうちに、精神主義的で狭量なだけの職人根性の世界にいやけがさすひともいる。こういうひとは、職人根性への反逆もあって、職人がなにほどのもんだ、と開き直るのである。おれが知るところでは、このタイプは、あんがい手先が器用なひとが多い。なんでもできると、努力根性義理人情でおさえこむ兄貴分の職人根性がばかばかしくなるということもあるのだろう。ただし、手先は器用でも生き方は器用とはかぎらない。それに自身の職人根性をキッパリすてられるわけでもない。で、棄てきれない職人根性なんてものにこだわらず、自分の才覚と腕だけで生きてやろうと、どこかで覚悟きめて、「食堂メニュー」の商売をはじめる。

  ●タメになる畳表の長椅子●
  川崎屋はまず店のつくりがちがってる。昔はかなり先進的な「和風モダン」だったことがしのばれる。まさしく、甘味喫茶として、かなり気合のはいったつくりだったにちがいないのだ。
  奥に縦長の店内は、天井にわざわざ屋根型の造作がほどこされ、茶店の雰囲気である。壁は下が木目調の上が漆喰調の、ツートンの仕上げだ。その左の壁にそって、これは極めつけ、つくりつけの畳表の長椅子がはしっている。くりかえす――つくりつけの畳表の長椅子――である。いかがわしい。ジャンクだ。いまでは、純和風喫茶を誇るところでも、これは見かけなくなった。
  壁の上部には、和風の燭台にろうそくをイメージするような、ブラケットがもう使われなくなって歳月がたっているのだろう、油汚れがこびりついたままである。デコラのテーブルの天板は木目調だし、椅子の座面と背の色も赤茶である。
  今日では安物建材の粗末ないでたちということになるのだが、新築当時の建材難の時代にしては、いろいろ材料をつかい、手をかけ、けっこうスキのないつくりだったことがわかる。
  やはり、川崎屋のじいさんの老骨の奥には、ただものならぬものがあるのだ。むかしはけっこうトンガリだったのかもしれない。
  老成した穏やかな白い餅肌の顔、というと上品なふうに想像されるかもしれないが、それほど素直なものでもない。利かん気がはしる。そこには、場末の地でおれはこうやって生きてきたぜ、オレはオレでしっかりやっているぜ、という見返しがある。

  ●冷やしみかんをくえ●
  ジャンクな食堂に不可欠ないかがわしいたたずまいであるが、その上、川崎屋にはジャンクらしい一品がある。それは、「冷やしみかん」である。
  川崎屋にはいったら、古ぼけた畳表の長椅子にすわり、冷やしみかんをくう。これが作法かもしれない。
  メニューである。模造紙に一覧の手書きのメニュー。品名のところはすっかり色あせ、値段のところだけが、比較的あたらしい紙の色。

    チョコレートサンデー  二五〇円
    アイスクリーム      二〇〇円
    冷やしみかん      二五〇円(ああ、冷やしみかん、だって)
    三ツ矢サイダー     二〇〇円(ああ、ああ、三ツ矢サイダー、だって)
    コカ・コーラ        一五〇円
    クリームコーラ      二五〇円
    クリームソーダ      二五〇円
    クリームミルク      二五〇円

  ここまでが一枚の用紙。むかしの喫茶のメニューだ。
  むかしはここに「バヤリースオレンジ」とかあったものだ。ジュースといえばバヤリースがはじまったのは、昭和二六年。アメリカンだったね。
  メニューはつづく。

    玉子丼     五〇〇円
    親子丼     五五〇円
    カツ丼      五五〇円
    中華丼     五五〇円
    天津丼     五五〇円
    カレーライス  四五〇円
    オムライス   六〇〇円
    ラーメン     三五〇円
    ヤキソバ    三〇〇円
    トウフイタメ   三〇〇円
    ライス      二〇〇円

  畳表の長椅子の奥につくりつけの棚がある。
  肩たすきのようにブルー帯がはいった明治屋のみかんの缶詰は、むかし子供をやっていたひとにはただならぬ存在である。いまとなれば、わたなべの粉末ジュースなみの存在である。みかんの缶詰がごちそうだったころに、明治屋のは上物だったのだ。ブルーの帯の外側には同じブルー系の色違いか金色だか銀色だかのラインがあって、その色で、中身の形がととのった上質かどうかがわかるし、とうぜん値段もちがった。それを井戸水で冷やしてくったときのごちそう気分を、あなたは覚えているだろうか。

  ●冷やしミカンの開き直り●
  川崎屋には、その明治屋のみかん缶詰が棚にあり、メニューにも「冷やしみかん」とあるのだ。じつはこれを注文したことがないので、川崎屋ではどういうだしかたをするかわからん。むかしの食堂では、ガラスの小鉢みたいなものか脚のついたガラスの器にもり、缶詰のさくらんぼが一個つきそって、スプーンと一緒に出てきた。ほかにもアイスクリームを頼むと、一粒二粒、チョンと添えてあったりした。
  この冷やしみかんは、川崎屋の開き直りの一言だと思う。
  冷やしみかんにはまだ寿命があるし、引導をわたすわけにはいかないぞ、と冷やしみかん以後の歴史を認めないのだ。
  日本も豊かになって、いろいろおいしいデザートやおやつができました。なんていっても、ヘン、てなもんだ。これでいいんだよ、これで、という一言の存在感。
  あんなものでよろこんでいた貧しい時代があった、と、なんでも昔物語にしてしまうのはまちがいである。どんな暮らしにもそれなりのおいしい楽しみがあった、それをあえて棄てるほどの理由があったのか、ということを考えるべきだ。
  つづけなかった理由はなんだったんだ?すこしは考えたのか?
  そういう質問をつきつけるように、畳表の長椅子の奥の棚には、三個、明治屋のみかん缶詰がならんでいる。川崎屋のじいさんは、いまだ、あえて棄てるほどの理由がないと考えているにちがいない。

  ●いかがわしさを身につける方法●
  もちろん、みかんの缶詰は象徴にすぎないのであって、川崎屋とじいさんのたたずまいそのものが、そういう一言である。ここには節約とか清貧とかとはちがう、棄てない暮らしの一言があるように思う。それが、川崎屋のいかがわしさの光源なのだ。
  おいら、世間にふりまわされるのはごめんだね、ろくなことになんないよ。うちへきたら、冷やしみかんをくってみなよ、これを棄てて新しいものをとる必要があるか?.と、こんな感じだ。
  やっぱりみんな、川崎屋へ行って、あの古びた畳表のうえに腰をおろし、冷やしみかんをくってみなくてはならん。そして、人生は開き直りだということを知る。
  あえて棄てるほどの理由がないものは棄てない川崎屋は、ただ古いのではない。かえなくていいものはかえない、というだけである。それは死生に生きる民の生きざまであり、川崎屋のじいさんは自身の体をはって、なんでも寿命つきるまで生かすべきだといっているようだ。その存在は、ああしろこうしろと、えらそうな説教と脅迫で「変化」をせまる、うぞうむぞうの権力と権威の姿を浮き彫りにするのである。

  ●キレイゴトからは何も生まれない●
  川崎屋は料理を楽しめる店だ。ヘンな言い方とおもわれるかもしれないが、食堂は基本的に食事をたのしむところだ。観念的な味と栄養の料理至上主義に偏向した食事は食生活の最大のまちがいである。
  夕飯どきだった。おれたちが注文したのは、オムライス六〇〇円、トウフイタメ一二〇〇円、カレーラーメンいくらだったかな? など。
  東京圏でオムライスを六〇〇円でくえたら感謝しなくてはならない。ところが川崎屋では、オムライスは最高価格である。しかも、オムライスをじゅうぶん堪能できる。
  ゴマ油がきいたトウフイタメは、絶品だね、といいたくないのだが、そのとき確かに、絶品だね、といってしまったのだからそのまま記そう。ほんとうは絶品なんかありゃしないのだ。でも、そういう気分で、そういいながらビールを飲む。ビール、大一本四八○円でお新香つき。この、お新香つきというところが、やさしい。
  トウフイタメを追加する。まったくこのトウフイタメには意表をつかれた。こういうときには褒めるよりくうほうが先とばかりくった。
  別の客がはいってきて、トウフイタメを頼んだ。トウフイタメは人気だ。
  じいさんは、ゆらゆらと外へでて行った。おれのつれが「きっとトウフを買いにいったんだぞ」とささやいた。たしかに、じいさんは、豆腐を二丁、手にしてもどってきた。近所の店での仕入れ、これこそ新鮮な材料をつかう正しいやりかただ。
  ジャンクな食堂はジャンクな地域にしかない。いかがわしい食堂はいかがわしい地域のシステムのなかで生きているのだ。それは、とてもルーズなシステムなのだ。
  ジャンクな地域の基準を勝手に決めてみよう。

  ●ジャンタな地域の決め方●
  一、視界の七、八割が貧相である。古い木造の二階家で占められている。
  二、商店街があって、ほとんど生業店である。
  三、路地が多く、うすぎたないが清潔なたたずまいである。
  四、どうやってくっているかわからん、つぶれても不思議でない店がある。
  五、商店街に隣接して住宅があり、しかも古い木造の二階家のアパートが多い。
  切れがいいからこれくらいにしよう。ほんとうは、年寄りが元気よくやっている、ってのをいれたい。
  ジャンクな食堂は孤立しては成立しないのだ。人間関係が入り組んだ地域で、蜘蛛の巣にからがるようにして、成り立っているのである。もちろん、いまでは、そんな地域は奇跡だ。東京の現代は、蜘蛛の巣にからがるような人間関係を嫌って、捨てて、そして「人情がなくなった」と懐かしがるひとによって中心がつくられている。
  ところが、むかし「場末」と呼ばれた地域は、ほぼ、ジャンクな地域として奇跡的に残っている。欲の深い連中もここは避けたのだ。こんな貧乏地帯じゃ商売にならない。.だいいち汚くて臭くてたまらん。おかげで地場の生業店が根を下ろせた。
  場末は地理的には東京だが、山の手文化によって「場末」につくられた、貧しいがゆえに田舎と同じようにあつかわれた地域だし、じっさいに地方から出てきた貧しい田舎者は場末に流入したのである。いわば、場末とは田舎者の密集地帯である。
  山の手文化は自分たちのキレイゴトのために、自分たちが必要としながらも「けがらわしい」ものとして体面をたもたなくてはならない、あらゆる種類をこの地域におしつけたのだ。安娼婦街、3K職業、「夢の島」だぜ……。そこは東京でも下町でもなんでもない、クズなような田舎者が住む、ゴミ捨場だったのだ。
  場末は、「場末」の汚名を着せられ、汚いながらも愛着の湧く地域に育った。それは田舎者のバイタリティがあったればこそではないか。
  そもそも汚いということは貧しいことと同じく、リクツとしてはあってはいけないことかもしれないが、現実はあるし、それでもそれなりの充実したときはすごせるものなのだ。田舎者はそのことを知っている。山の手文化は、その現実を素直に受け入れずに余所におしつけようとする。
  自分がメシくってクソする人間だということを直視したがらない。オシャレを周囲に配置しておかんと満足できないイナカモンの山の手文化は、どこか人間であることからかなりはずれてしまったようだ。
  川崎屋のじいさんのあの一瞥は、メシくえばクソがでるという関係を無視してはしりつづけた、オシャレのめしはくいたいけど汚いクソのことは誰かにおしつけたい、加虐・被虐のキレイゴトの東京物語をくぐりぬけて、場末で生きた食堂の意地かもしれない。山の手文化に浸食される世間を、周辺から冷やかに見つめつづけてきた眼差しなのではないか。
  隅田川の東、亀戸や小岩、この墨東ジャンク地帯には食堂が多い。その代表格としてふさわしい、けっして飼い慣らされることのない、川崎屋の店とあるじのたたずまいである。
  いま、東の川向こうは隅田川から荒川に移動しつつあるようだ。江東区はウオーターフロント開発というのもあってか、ゴミのうえで山の手文化流のようなキレイゴトをはじめた感じがある。江東の食堂の道はなくなりつつある。川崎屋のじいさんどうかがんばってくれ。おれはじいさんのこと忘れないよ。


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