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『大衆食堂の研究』復刻HTML版         エンテツ資料棚『大衆食堂の研究』もくじ


煽動編*空前絶後、深い正しい東京暮らし

*三、「たたずまい」は食堂の鼓動だ*

  食堂は全国どこにでもあるのだが、地域によってまったくちがう「たたずまい」をもっている。

  ●地域によってちがう「たたずまい」がカンジンである●
  「たたずまい」は、食堂の、
  「深み」であり、
  「臭さ」である。
  つまり、個性だ。したがってその町を知るには、その町の食堂にはいるのがいちばんいい。どの町も全国区化がすすんでいるからな。
  では、東京の食堂ならではの「たたずまい」とはどんなものでしょうか。
  モノの本の冒頭には、よく『広辞苑』などの重くて厚いものからの引用がある。最初のほうにこれがあると、以下いっていることは、『広辞苑』並みの重厚な権威をもつらしい。すくなくとも、ワタシは『広辞苑』まで調べたんだから、という格調がなりたつらしい。
  エヘンエヘンどうだ『広辞苑』では、こういっているぞ。と、そこから先は、それでワタシはこう思ってると、反対のことであろうがめちゃくちゃのことであろうが、ともかく、一応の信用関係をつくれる。という効果があるんではないか。『広辞苑』も調べないでものをいうな!という威圧のふんいきも、あやしくただよう。
  おれは『広辞苑』は嫌いではない。なんの恨みもないが、ふだんは『広辞苑』なんてつかっていない。あんなでかくて重いものは不便でしょうがないし、値段も高い。じつは貧乏だから持っていないのだ。
  それで、愛用しているのは『ダイヤモンド国語辞典』というやつだ。パチンコ屋の景品にありそうな、「集文館」という名前はあるが無名の出版社のものだ。はがき四分の一よりちょっと大きいていどの、厚さ一センチ五ミリくらい。かわいいね、Tシャツのポケットにだってはいるね、そしてジャンクだね。
  だけど、日常の道具としてはとてもいい。だいいち、ふだんの視線がある。学識ぶっていないところがいいのだ。やっぱりふだんのこういうものを充実させなくちゃ。そうすれば国語は栄えるにちがいない。
  ま、伝統の権威が伝統の墓穴を掘るなんてことは、めずらしくもなく、飲食の世界にもあることだ。「日本の伝統料理」は、レジャーやホビーのシーンで話題になることはあっても、ふだんの食生活の安っぽい食卓を飾ることはない。これは、「選びぬかれた旬の素材をテマヒマかけて:…」と金太郎飴的なせりふをはく、芸術家学者グルメぶった職人根性礼讃主義の名人大家先生方の努力の賜物にほかならない。
  それで、と、わが愛用の『ダイヤモンド国語辞典』で「食堂」をひいてみたのだ。ところがナントのっていない。これはどうしたことだ。おれとしては、「食堂」の項には、「本辞典を愛用するような庶民が利用するいかがわしい飲食店」くらいの説明があってもよいはずだとおもっていたのに……。総語数が二万語に満たないのだからしかたない。
  こんなときのための『岩波国語辞典第二版』というやつをとりだす。文庫本よりちょっとだけ大きめサイズである。この辞典の初版は、昭和三十八年だから、おれがこだわる昭和三〇年代であるところの一九六〇年代である。それに「岩波」といえばちょっとした権威だゾ。三省堂の辞書はパチンコ屋の景品にあるし、それでちょうだいした『現代国語表記辞典』というのをおれはもっている。だが、パチンコ屋の景品に「岩波」のはなかった。そんなことはどうでもいいか。  「食堂」をひく。
  「食事をするへや。転じて、いろいろの料理を提供する店」
  とある。
  だからどうしたというの。
  いえ、国語的説明としてはこんなとこです。
  それで、東京の食堂とは、「いろいろの料理を提供する店」で、
  ●ここがいちばんカンジンなところだぞ●
  たたずまいが、
  一、いかがわしい、
  二、開き直っている、
  と、おれはいわなくてはならない。
  くりかえすが、「いかがわしい」ことと「開き直っている」ことが、東京の食堂を解読するキーワードなのである。これで、このことばだけでも、東京の食堂のブキミな存在感がつたわるのではなかろうか。
  いかがわしさ、とは奥のふかさ、味わいの素なのである。


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