『大衆食堂の研究』復刻HTML版         エンテツ資料棚『大衆食堂の研究』もくじ


ジャンクな大衆食堂に、ひとりで入れるかい?

  食堂、といっても大衆食堂のことである。
  こうまでことわらなくても、いまでは、「食堂」といえばほとんどが、「大衆的な食堂」という意味での、大衆食堂である。そこで、あえて、東京の大衆食堂については、こういわなくてはならない。
  昭和三〇年代にして一九六〇年代の「たたずまい」をとどめている大衆食堂のことである、と。
  なぜこういう言い方をするのか、しなくてはならないかということは、これからなんとなくわかってくるはずだ。

  東京の青春を語るとき、大衆食堂をぬきに語ることができない時代があった。
  おれたちおじさんは、大衆食堂御愛顧の大先輩です。そのおじさんが、昔懐かしさのあまり食堂にヒョッコリあらわれる。そんなことが増えている。これはもしかしたらおじさんたちのトレンドか?
  いくつかの食堂で聞いたところによると、ちかごろの食堂の新顔は、若いOL(食堂世間にはキャリアウーマンという言葉はなじまない。ほんとうは食堂では、「OL」より「BG」という言い方がいいように思う)、かわいそうなおばあさん、そして昔を懐かしがる帰ってきたおじさん、ということだ。
  おれもそのように目撃した。
  ひとりでビールを飲んでめしをくう若いOLをみて、食堂はとまどいながらも、とくに男主人はうれしいらしい。女主人はやっぱり若い男の客のほうが可愛いと思っているはずだ、とおれはにらんでいる。ともかく、いま、「女の進出って、いやほんとなんだ」と食堂は実感しているところだ。そして若い女が入るようになると若い男も入るようになる。
  「それって、へんな話だと思っていたんだけどほんとなんだねえ」とちょっぴり複雑な気分のようでもある。かって食堂でめしくう男には、そんなやつはいなかったからだ。
  おじいさんに先立たれたおばあさん。おじいさんが生きているときは一緒にくっためしも、子供や孫といっしょに暮らすようになると、くいものが口にあわない。すると、子孫大事はわかっていても、自分は疎略にあつかわれているんではないかという寂しい結論に達するらしい。そして、昔のたたずまいの食堂に入る。食堂は、年寄りに最高の礼儀をもって接する実力をそなえている。昔ながらのめしの味もさることながら、昔ながらの食堂の親切が、おばあさんにとってはよほどうれしいらしい。食堂はそのために貧乏しているわけだが、どんなひとたちにも、これが人間の暮らし方としてはあたりまえだよ、という姿勢をつらぬく。
  おじさんのばあいを想像してみよう。
  人生の半ばを過ぎ先が見えてきた、とする。そこで青春をふりかえった、とする。そこに、恋した女や好きだった音楽のつぎぐらいに懐かしい情景として、「おおめしぐい」をした食堂の日々があるのだ。あるいは、わずかのカネのためにさんざん働いた末に、会社や家族にののしられ冷たくされ、へたをすると切り捨てられた、とする。すると、あの失われた「あたたかいふれあい」や「激しい情熱」や「人間臭い暮らし」が、それにどこかほのぼのとした味わいのめしがあったはずだ、と記憶をたどるのだ。すると食堂にたどりつく。こんなところだろう。
  食堂のめしをくいながら大学を出て田舎にもどったおじさんが、出張のついでに立ち寄ったりする。おじさんは「出世」している。どんな会杜かわからないけど専務さん、どんな学校かわからないけど教頭先生、どんな役場かわからないけど助役さん……(このなんとなくトツプでないところを強調しておれは書いている。それが食堂に似つかわしいからで、実際にはトップもいる)。もちろんおれみたいにまるで出世してないのもいるが、出世してないおじさんはだいたい食堂に御世話になりっぱなしというわけだから、久しぶりのおじさんとはちょっとちがう。
  昔を懐かしがるおじさんがくると、思い出に花が咲く。久しぶりのおじさんがあらわれると、食堂は、こう言う。
  「おひさしぶりです。ご出世なさって。うちなんか意気地がないからあのころのまんまですよ」
  この「出世」という言葉は、「御無事で」というのと同じ意味でつかわれているようだから、出世してない人も気にすることはない。
  「いやいや出世なんて、そんな、田舎でこそこそやっているだけですよ。ところで妹さんは?」
  「いやですねー、とっくに結婚して出ていきましたよ。もう大学生の娘がいますよ」
  「そうか、おれがねらっていたのにな」
  「おや、あのころはどなたかいいかたがいらっしゃったんでしょ」
  あっというまに二、三〇年の歳月がすぎている。ともかく食堂もおじさんもお世辞でなく、なによりもお互いの「無事」がうれしい。安楽の日本のようだが、無事に生存しつづけることはやさしくない。食堂もおじさんもそのことを知っている。だから、無事であればうれしい。
  じつはこのての話は食堂ではことかかない。かつてのお客に招かれて田舎に旅したことがあるという話もある。そしてこういう「再会」のときこそ、食堂の御夫婦は、食堂をやっていてよかったと、しみじみおもうのである。おじさんも、ここにはビジネスに浸食されない人間関係とナリワイが、まだ残っているのだ、としみじみ感じ入る。そして、フムフム、やっぱり大事なのはひとのまじわりだ、助け合いだ、と確認しあうのである。
  いまこんな渡世がどれだけ残っているか。
  若いOLも年寄りの女も、食堂の歴史からみれば「新顔」の客である。やっぱり、食堂の客は野暮な独身男が主流だ。そして、食堂でめしをくう若者はちゃんと(尊敬をこめて)いらっしゃる。
  だが、食堂の看板はどんどんなくなる。昭和三〇年代にして一九六〇年代のたたずまいの食堂が、この一年ぐらいのあいだに、おれの目の前から二軒なくなった。そしてわかっているだけでも、あと三軒は、やがてなくなる。直接の原因は後継者がいないということだが、地代と人件費の高騰で「零細の商売などやってられない」という状況がながく続いた結果である。
  おれはあきらめの悪いほうで、これを正しい時代の流れとあきらめることができない。
  それは、食堂がなくなって、ちっとはいい世間になっているならべつだが。あと一〇年たったときのことを考えてみよう。あそことアソコとあそこの食堂がなくなっていて……すると、おれはどこへ行ったら心やすらぐめしをくえるのだ。それを思うと、あきらめきれない。
  もしかしたら、いまだってスラムだが、さらにひどくなった「外食産業の店」の片隅で、イカれた若造がもってくるレンジ料理に平身低頭し、ためいきをつきながらくっていることになるかもしれない。まわりには、年金負担軽減のために年寄りを殺せ、とTシャツの背中になぐり書きした若造がいて、ツバをかけるし。あるいは、こんな若造から隔離された「老人保管ホーム」にいるのだろうか。若造に向かって、おれたちはナこうだったんだゾと説教したり、指示待ちのバカヤローと悪態ついたりする快楽はもうできない。どう考えても、あきらめきれない。
  だったらいまのうちに、あの大衆食堂を懐かしながら賛美し、食堂をあなどる気取った食文化・料理文化とキレイゴトの世間におもいきり悪態をつき、食堂にひとりで入れないというオシャレ野郎を笑いのめしておこう。

  渋谷新宿の虚飾の音、諸行乱痴気のひびきあり、奢れる産業ひさしく栄え、ひかえめの食堂今日路傍に死すとも誰も悲しまず……ひとり行くゆく食堂街道、ごめんなせぇ、あっし、ただの田舎者でござんすが、一宿一飯の恩義ヌキでめしくわせてもらえましょうか……なにいってんだ。
  食堂でめしをくう。それはたんに安いめしをくうのではない。ただ安いだけならガストもある、スタンドの丼屋もある。コンビニの弁当だっていいかもしれない。
  じゃあ、健康栄養か。ちがう。栄養素なんてごくささいな記号にすぎない。痩身美容健康長寿ちゃんちゃらおかしい。食堂のめしってのはそんなもんじゃない。食堂のめしはもっと生存の根源にかかわるめしなのである。
  栄養や料理や食文化については、うるさいほど騒がれた。しかし、生存について語られることがどれだけあっただろうか。語られるのは、あいかわらず、歴代上流階級・欧米上流階級を崇拝模倣する、「上品」で「文化的」で「芸術的」な、見栄ライフ、快楽シーン、物知り顔なウンチク。
  七〇年代あたりから饒舌になった、こういうグルメ・食文化もどきは、同じことを言う。日本は、やっと、食の文化を考えられるゆとりができたのだ、と。それまでは、くうだけで精一杯だった、と。ようするにくうことの心配がなくなったから、グルメ・食文化がやれる、ということである。これはほんとうだろうか。もちろんデタラメのウソだ。すくなくとも、料理評論家だ食文化評論家だというやつらが、「フード・ビジネス」にくわせてもらえるようになったのは確かだろうが。
  ようするに、七〇年代以後の華やかなグルメ・食文化ブームは、エサの心配がない生簀の魚にはグルメも文化もあるが、川や海で生きている魚にはグルメや文化はない、という理屈なのである。これを「生簀文化論」と呼ぼう。
  この生簀文化論の特徴は、生簀がなくても生存はあるし、生存があれば、そこにグルメも文化もある、というところは考えないのである。
  大衆食堂は生簀の外である。
  撤き餌飼いの生簀より、あたしゃ小川の水がいい。他人の目を気にしない、ひとはひとワタシはワタシと決断できる。ダメ人間、と全否定されてもへっちゃらで生きていける。そういうタフなオトナのめしを考えたことがあるだろうか。食堂のめしこそ、まさにそういうめしなのである。
  おじさんたちは身におぼえがあるはずだ。いまじゃ、若者の真似してオイシイ生活をおいかけまわしたり、あとはノンキな老後を過ごせればいいなどと定年までを無難に過ごす算段だけしていたり、働き盛りをすぎたところで背後から切りつけられたようなリストラで一寸先が闇だったり、いろいろだろうが、こうまで骨抜きにされるまえは、オレだって食堂のめしくいながら逞しくやっていたことがあるのだ、と。
  そうだ、おじさんたちの罪は、食堂のめしを忘れて少々の豊かさに酔い痴れたこと。それゆえ若者に食堂のめしをたたき込まなかったこと。若者がフヌケになるのはあたりまえだ。タフな食堂のめしをくってないからだ。
  ただならぬワイルドなエネルギーを集めては発散していた昭和三〇年代にして一九六〇年代であるところの食堂。いまだって、そういう食堂が厳然とある。
  おもえば、あの時代はメチャクチャ何かが生まれたのだし、あの食堂のめしをくって激しく騒ぎまくっていた連中が、目下リバイバルだのと騒がれている気持ちのわるい七〇年代の「流行」を生きたのだし、ああいやだゼ、けっきょくその後はカスの再生産をしていただけなのか。そして七〇年代以後のオシャレなファミリーレストランやコーヒーショップあたりでハンバーグだのフライドチキンだのフライドポテトだの野菜サラダだのくって育ったやつには、たいしたエネルギーはないということだ。よろこんじゃいられないけどね。
  ともかく、オシャレチャラチャラだけが東京の生活だと思うのは、おおまちがいのイナカモン根性丸出し成り上がり者の錯覚である。
  そういう錯覚におちいった、見た目はオシャレで明るい家庭や世間にはない、「活とした」オトナの血が、路上廃棄物のような食堂には脈々と流れているのだ。

  ところでだ、この世には「ニューメディア」ってのがあるように、「オールドメディア」ってのがあるようだ。広く認められているかどうか知らんし、そんなことはどうでもいい。「オールドメディアクリエイター」なんていう肩書のひともいるくらいだ。それなら「ニューライフ」ってのがあるように「オールドライフ」というのがあって、おれは「オールドライフクリエイター」でも悪くないな、と思った。
  しかし「オールドライフ」などというと「古き良き」「上品で粋で」「伝統美」とかんちがいするむきも少なくない。おれの「オールドライフ」は、東京湾の夢の島の下積みになってしまったような、下世話で猥雑な生活のことだ。みんなヤケに小奇麗になっていくうちに捨ててきた、朴訥にしてエネルギッシュであたたかいが煤もひどいダルマストーブを持ち出すようなものだ。だから「ジャンクライフ」と言おう。
  それで、「ジャンクライフ」なんていうなら、とうぜん軽佻浮薄流行追従を厳しく軽蔑せねばならない。野性にオリジナリティを発見し、汚さに美をみる。何事もハードにヘビーにシリアスに迫らなくては気がすまない。「クリエイター」とか「クリエイティブ」なんていう言葉は使いたくない。謙虚に「普及員」ということにしよう。
  これで「ジャンクライフ普及員」という仕事ができた。
  すでに食堂を体験したみなさんはわかっているはずだ。
  まさに薄汚い食堂はジャンクな世界である。そしてとても、味わい深く、独自だ。
  まあ昔からそういうふうなところがあった。すでに昭和三〇年代にして一九六〇年代でも、それなりに、ジャンクな世界だった。独自だった。周囲がニューなライフスタイルに傾斜するにしたがい、それが、ますます色濃くなった。すでにまわりは不精髭を剃り落としてめかしこんでしまったのに、食堂は不精髭のままなのだ。
  食堂をすでに十分利用しているひとのなかには、貧乏生活の惰性に埋没し、このジャンクな食堂のジケン性についてなんら自覚してないひとがいる。じつはおれも二、三年前まではそうだった。慣れは新鮮な感覚をマヒさせる。目覚めよ、きみは立派なジャンクライフマニアとしての体験を積んでいる。本書でその体験に磨きをかけよ。読んで後は、「ジャンクライフ普及員」として食堂の正しい普及につとめよ。

  ●食堂効果についての結論●
  人生、自立とバイタリティだ、というのが食堂めしである。
 
  自立とバイタリティの食堂めしはこんなやつのタメになる。
  一、ツヨイ人間になりたいひと。(だけどツヨイの意味がわからないひと)
  二、一から人生をやり直すひと。(だけど一がわからないひと)
  三、(あきらめもあって)貧乏でいい楽しく生き抜きたいひと。
  四、(あきらめきれず)下積みからのしあがりたいひと。
  五、(アマク)会社人間をやめたいと思っているひと。
  六、堕落した人生を送りたいひと。(だけどすでに堕落しているひと)
  七、人間は一人のほうがいい主義。(だけどさびしがりや)
  八、好きな女あるいは男が一緒ならいい主義。(だけどモテナイひと)
  九、ひとりになっちゃったという気分のひと。(ともかく一生懸命というひと)


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