『大衆食堂の研究』復刻HTML版         エンテツ資料棚『大衆食堂の研究』もくじ


煽動編*空前絶後、深い正しい東京暮らし

*五、凄味の、ひらきなおり*

  さらに、そのうえ、「いかがわしいのどこが悪い」と「開き直っている」のである。
  じつは、開き直っているがゆえに、いかがわしい存在なのかもしれない。キレイゴト好きの大物小物小娘小僧さまざまのばけもの妖怪変化が横行する東京で、オレはキレイゴトはいやだよ、と開き直ったがゆえに、いかがわしいたたずまいをそなえたともいえる。

  ●とにかく、食堂のたたずまいには、開き直りがある●
  開き直り。それは庶民が発見自覚した最高の生きざまである。庶民道の根本といえよう。
  その開き直りの食堂のたたずまいとは、どんなものだろうか。三つの特徴がある。
  一、何者にも侵されない、何者にも従わない、独自の風がある。
  二、女子供流行に媚びず、正しさを見失わない、オトナの風がある。
  三、貧相にして貧乏を超えた風がある。
  「正しさ」を棄て、なんでもかんでもあたりさわりのない優雅な街に変貌する東京で、これだけそろうとなかなかの凄味があります。

  ●キレイゴトにはしるのは勝手だ。
  だがその前に食堂で開き直りを知っておけ。きっとタメになる●
  「花の都」とうたわれる東京のキレイゴトは、「大」文化、「雅」文化、「光」文化・で成り立つ。「権力権威盲従の町」であり「女子供流行の町」であり「金銀きらきら好きの町」なのである。デカイモノ、タカイモノ、ヒカルモノに弱い。どこをみまわしても、独自の風がない。おしゃれでかわいい女子供がでかいツラし、リッチでなければひとにあらずという風である。
  とても現代人の首都とはおもえないのだが、なにしろ、着色料や発色剤や脱色剤になれきった連中だから、ますますデカク・タカク・ヒカルってことでないとココロを動かさない。逆に、イルミネーションやライトアップにはカンタンに「感動」する他愛もない連中だ。
  ま、だいたい権力のおひざもとには、高大でヒカルものによわいイナカモンが集まるのだから当然ではある。そして、これも昔むかしからの「男社会」でやられてきたことだが、大市民であろうが小市民であろうが、すこしでも権力らしいものを手にした男は、すぐ街や家を飾りたて、女子供を飾りたて好き勝手をやらせ、「いやーカネがかかって困ったもんです」などと、勲章をもらったように満足し自慢するものである。全国市場の東京というのはそんなところだ。
  そういうところに、厳然と、小さい安っぽい食堂がたたずんでいる。それだけで、じゅうぶんいかがわしい開き直った風情である。
  人間は、そうはカンタンに開き直れるものではない。とくにいろいろな「チャンス」がある東京での開き直りは、もだえモダエた結果の開き直りであるはずだ。そういうモダエの気配が、東京の食堂にはただようのだ。それは、おもに主のたたずまいにただようのだが……。
  東京の食堂には、おだやかな覚悟の底にギラッとする何かがある。ただならぬ……、そこがちがう。たぶん、東京という密集の「下層」で開き直ったものにだけある特徴ではないか、とおもわれる。
  おれは上昇志向を否定するものではないが、こういう開き直りもしらないちかごろの上昇志向だのプラス発想だのは、どうもうすっぺらでキレイゴトすぎる。正しい庶民の道とむては、どこかではやいうちに開き直ってみるべきである。そのためには、食堂のめしくってみなくてはだめだろうね。


次は、「自立編」です。もくじへもどってください。
『大衆食堂の研究』もくじ