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「大衆食堂」の呼称が生まれる時代の林芙美子『放浪記』と食風俗 メモ3 p130まで


p110(十二月×日)
・「東京を遠く離れて、青い海の上をつっぱしている」四国の徳島にいる母のもとへ

あんまり昨日の空が青かったので、久し振りに、古里が恋しく、私は無理矢理に汽車に乗ってしまった。そうして今朝はもう鳴門(なると)の沖なのだ。
「お客さん!ご飯ぞなッ!」

穴倉のように暗い三等船室に帰って、自分の毛布の上に坐っていると丹塗(にぬ)りのはげた膳の上にはヒジキの煮たのや味噌汁があじきなく並んでいた。

p112(十二月×日)
屋並の低い徳島の町も、寒くなるにつれて、うどん屋のだしを取る匂いが濃くなって、町を流れる川の水がうっすらと湯気を吐くようになった。

長崎の黄いろいちゃんぽんうどんや、尾道の千光寺の桜や、ニユ川で覚えた城ヶ島の唄やああみんななつかしい。 p116(一月×日)
暗い空だった。朝の膳の上には白い味噌汁に高野豆腐に黒豆がならんでいる。何もかも水っぽい舌ざわりだ。東京は悲しい思い出ばかりなり。いっそ京都か大阪で暮してみようかと思う……。

・けっきょく徳島を離れ東京へ向かう。途中、「天保山(てんぽうざん)の安宿の二階で、」気分が変わる。大阪市の職業紹介所で紹介された毛布問屋で「私は女学校卒業の女事務員です」住み込み働き。

p120(一月×日)
毎朝の芋がゆにも私は馴れてしまった。
東京で吸う赤い味噌汁はなつかしい。里芋のコロコロしたのを薄く切って、小松菜を一緒にたいた味噌汁はいいものだ。新巻き鮭(ざけ)の一片一片を身をはがして食べるのも甘味(うま)い。
大根の切り口みたいな大阪のお天陽様ばかりを見ていると、塩辛いおかずでもそえて、甘味い茶漬けでも食べて見たいと、事務を取っている私の空想は、何もかも淡々しく子供っぽくなって来る。

p123(二月×日)
だらだらと京極の街を降りると、横に切れた路地の中に、菊水と云ううどんやを見つけて私達は久し振りに明るい灯の下に顔を見合せた。私は一人立ちしていても貧乏だし、お夏さんは親のすねかいじりで勿論お小遣いもそんなにないので、二人は財布を見せあいながら、狐うどんを食べた。女学生らしいあけっぱなしの気持ちで、二人は帯をゆるめてはお替りをして食べた。

・けっきょく東京へ。女中のいる下宿。男と。若松町のへん? カフェーで働く。
p125(七月×日)
ああ何と云う生きる事のむずかしさ
食べる事のむずかしさ。

・男のいる下宿を出る。
p127(七月×日)
時ちゃんのお母さんが裏口へ来ている。時ちゃんに五円貸すなり。チュウインガムを噛むより味気ない世の中、何もかもが吸殻のようになってしまった。……私はコック場へ行くついでにウイスキーを盗んで呑んだ。

p127(七月×日)
魚屋の魚のように淋しい寝ざめなり。……私は枕元の煙草をくゆらしながら、投げ出された時ちゃんの腕を見ていた。まだ十七で肌が桃色だ。――お母さんは雑色(ぞうしき)で氷屋をしていたが、お父つぁんが病気なので、二三日おきに時ちゃんのところへ裏口から金を取りに来た。カーテンもない青い空を映した窓ガラスを見ると、西洋支那料理の赤い旗が、まるで私のように、ヘラヘラ風に膨らんでいる。

p130(七月×日)
 「神戸でも降りてみようかしら、何か面白い仕事が転がっていやしないかな……」
 明石行きの三等車は、神戸で降りてしまう人たちばかりだった。私もバスケットを降ろしたり、食べ残りのお弁当を大切にしまったりして何だか気がかりな気持ちで神戸駅に降りてしまった。

 暑い陽ざしだった。だが私には、アイスクリームも、氷も買えない。ホームでさっぱりと顔を洗うと、生ぬるい水を腹いっぱい呑んで、黄色い汚れた鏡に、みずひき草のように淋しい自分の顔を写して見た。

 小さな店屋で、瓦煎餅(かわらぜんべい)を一箱買うと、私は古ぼけた兵庫の船宿で高松行きの切符を買った。やっぱり国へかえりましょう。


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